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2001.11.28 | 店長おとぼけコラム

2001年10月~11月

■おみくじ

 知人が京都の八坂神社でおみくじをひきました。「55番お願いします」「すいません。55番売り切れましたのでもう一度ひいてください」「売り切れて、あんた、豆腐やあるまいし」はらをたててかえってきたそうです。 この話、とてもおもしろかったので早速、家で話しました。
 
 しかし、何の反応もありません。「おみくじってそうやってひくの?」
  この家庭は全員、おみくじをひいたことがなかったのです。長いつき合いなのに気が付かんかった。

2001.11.28(131)

■つかみはOK

 ダイエー店長の自己紹介は感心するほどうまい。社内研修でもやっているのかというほど例外なくいいのです。岡本店の千葉前店長は「出身は山形ですが千葉です」と東北訛りで自己紹介。今度の黒上店長は「こんな頭ですがクロガミです」 と光った頭をなでて自己紹介。緊張した場が急になごみます。つかみが大切です。
 
 ワタシも考えました。「ワタシの名前はタイ焼き、いや、回転焼き、いや、あっ今川焼きです」
 すべると場が一層緊張しますのでご注意を

2001.11.23(130)

■紫野通信(準備号)

 数寄屋造りの「なちや」の二階から窓を開けると比叡山がくっきりと広がっています。ここから比叡山が遮るものが無くきれいに見えるとは驚きました。この時期、京都は紅葉見物の観光客で名所はごった返します。今朝の新聞に清水寺のライトアップの記事をみつけ「行ってみたいなあ」と言うと、すかさず「紅葉は昼間に見るもの」と傍らの四流庭師に一喝されました。
 今年は間に合いませんでしたが、来年は「なちや」の猫のシタイほどの中庭の紅葉を愛でながら一献いきたいものです。
 
 漆文化の新たな発信地「なちや」が間もなくオープンいたします。

2001.11.17(129)

■日本電電広告(株)

 広告料金振込案内が届きました。今年のタウンページに広告を打った時なので、てっきりNTTからの請求だと思いこみました。タウンページの掲載見本まで貼ってあります。ただ、金額が¥57200と安いのと、NTTは毎月の引き落としと記憶していたのがひっかかってはいました。そこへ、NTTから電話があり「この時期NTTからの請求とまぎらわしいのが届きますのでご注意下さい」。これか。よく読むと 注意事項には「日本電信電話発行の職業別電話帳と混同なさらぬ様お願いします」と書いてある。
 
 混同するようにうまくできています。会社名も、封筒も、金額も、タイミングも
 世の中には信じられないような色んな会社があります。

2001.11.15(128)

■キョウセイちゃん

 知人の女性は飲み会で酔いつぶれてしまいました。当日は運悪く、買ったばかりの矯正下着をつけていたのです。同僚は気分を和らげるためその下着をゆるめることにしました。きつい、取るのが大変。ボンレスハム状態ですから。ようやくその下着を取って紙袋に入れて、家まで送って行きました。
 
 翌朝、本人は起きてびっくり、枕元によろいのように矯正下着が突っ立っていました。その日から彼女は「キョウセイちゃん」と陰で呼ばれるようになったのです。

2001.11.14(127)

■酋長

 知人はパプアニューギニアの酋長です。といっても、れっきとした日本人の29歳です。その村は4000人で電気もありません。「酋長ってなにすんの?」「村の裁判官です。裁判といっても、豚が逃げて他人の畑を荒らしたというようなもめ事ですけど。白黒はっきりした判決はだめなんです。グレーがいいんです。日本人のような」 彼が出した判決は、豚を買い取ってみんなで食べる。食べた者が畑を元の通り耕すという大岡裁き。「6時間考えましたが、このことだけで本が一冊書けますよ」
 
 パプアニューギニアの完全失業率85%
 5%なんか あまい あまい

2001.11.07(126)

■さぬきうどん

 行って来ました、さぬきうどんグルメツアー。まずは雑誌でチェックした、「なかむら」。本に書いてある通り初心者には分かりにくく最後の曲がり角は車を2,3回擦らなければ曲がれないほど細い。店といってもただの小汚い納屋。「あついの2つ」と言ってうどんを入れてもらったら、あとは全部自分でやる。ネギを包丁できざむ、ショウガをおろす、大根もおろす、ネギがなければ裏のネギ畑で取ってくるという究極のセルフサービス。常連は手際がよく、誰が店員で客か見分けがつかない状態。「ハイ、200円」値段も究極の安さ。お味はかまなくても胃に収まり、のどごしで味わうというのがよく分かる究極のうまさ。
 
 一玉、100円、これでも横には新築の大きな家をお建てになっていました。
 そこの若旦那、よー勉強しなはれ。

2001.10.30(125)

■やっと出る

 関西の方なら少なからず感じていた筈、「関西弁に変換してくれたら、ナンボ楽か」と。日本語変換のお話ですよ。お怒りコラムの岡川は関西弁に変換するのにアホほど苦労しています。岡川にとっては朗報です。制作会社のジャストシステムは徳島本社ですので出来たのでしょう。これが、マイクロソフトが作っても説得力がない 。ビルゲイツに関西弁が分かるかいな。ビルゲイツが関西を相手にするかいな。
 
 楽しみですが、関西弁もいろいろあります。
 「 京都弁には変換できやしまへんどすゑ」

2001.10.26(124)

■バリウム

 胃の検査を受けるたびに思うのが、「この検査はハードルが高い」ということ。まず、発泡剤を飲んでゲップをこらえるのがつらい、白セメントの様なバリウムを大量に飲むのがつらい、頭が下になるくらいベッドを動かされるのがつらい、その時「あおむけ」と「うつぶせ」を間違うのがつらい。こんなにつらくては胃が悪い者は検査に行かない。もうちょっと楽に出来る検査方法がないかと思います。
 
 つらい検査で思い出しました。直腸ガンの検査もつらかった。肛門に直接指を入れて検査します。予備知識の無かったワタシはその方法と痛さにびっくりしました。
 この痛さが快感に思えるのがホンモノです。

2001.10.25(123)

■美脚パンツ

 芦屋のブティックの女性オーナーのネーミングです。このネーミングでどこにでもあるニットパンツを売り出したところメチャクチャ売れたということです。確かにツボにはまった見事なキャッチです。「美脚ではないんですが売ってもらえます?」というおばさんまでいるそうです。
 
 不況で売れない、時代が悪いと嘆く暇があったらもっともっと 自分で考えて工夫せえ。
 と、天にツバ しました。

2001.10.20(122)

■日本史

 子供をお持ちの方なら経験あると思いますが、子供を見ているとその時代の自分の考えていたことが鮮明に蘇ってくることがあります。昨日の事すらなかなか思い出せないのに40年も前のことなら鮮明に思い出すのは何とも不思議です。ということで、
 
 高校時代、日本史をとっていました。その時よく思ったものです「もっと前に生まれときゃ、現代史なんかやらんですんだのに」「これから生まれてくる子供は大変や歴史が増えるばっかりや」「アメリカ人は200年しか歴史がないので楽やなあ、バングラデシュはもっと楽や、1日で勉強終わりや」
 
 日本史に変な事が加わらないようにしないといけないなあと子供のテスト結果を見ながら思いました。
  しかし、もうちょっと点取れんか。

2001.10.19(121)

■愛社精神

 入社したての頃、実家に石○君が来ました。親父が使っているマッサージ器を見て「東芝のタントンお使いですか。ありがとうございます」とすかさず言いました。それをうけて親父は「みてみ、おまえと違って石○君は愛社精神がある」と言ったものです。もちろん、ワタシは愛社精神などゼロです。会社とは同等の立場でないといけないと考えていました。あれから20年経ち世の中リストラの嵐です。
 
 今では愛社精神の深い人間ほどリストラされそうな雰囲気です。

2001.10.16(120)

■自転車操業

 岡本にある一番店の雑貨店オーナーはオッチョコチョイの女性です。これは以前にも紹介したとおりです。物が売りにくいこのご時世でも着実に売上げを確保しているのには頭が下がります。優雅に見える表面とは裏腹に莫大な(ワタシから見れば)借金を返済しています。「以外に自転車操業なんですね」と言うと「何言うてんの、自転車操業やったらましや、一輪車操業や。こぐのやめたら即倒れる」
 
上には上が、いや、下には下が、いや・・・・
いろいろあります。

2001.10.12(119)

■神戸気質

 その店は阪神沿線にある小さな料理屋でした。カウンターにDJ Hondaの帽子をかぶった若者が魚料理に舌鼓をうっていました。周りで飲んでいる10人ほどはそれがイチローだと知っていたはずです。その時も充分にスーパースターでした。しかし誰一人声をかけるわけでも、サインをもらうわけでもなく知らない振りをして談笑していました。しかし、イチローが店を出ていく時一瞬、シーンとなったのには笑いました。
 
 神戸の人は大人の対応ができるとその時感じました。
 これが大阪だったらイチローはくちゃくちゃにされています。

2001.10.10(118)

■運動会

 日立工場の運動会は創価学会、日本大学と並んで日本三大運動会の一つに数えられるほどでした。1ヶ月前になると、仕事もそこそこに各競技の練習が就業時間中に本気で行われます。綱引き、球回しなど練習は娯楽を遙かに越えて競技になっています。雨の日、廊下で綱引きの練習をしていたのにはびっくりしました。このようにして、運動会で従業員がひとつになっていきました。しかし、そんな運動会も時代の流れの中で随分前にとりやめになったそうです。
 
 心をひとつにして何かをするということが本当に少なくなってきました。
  そんな中、『報復』で心がひとつになるのが気になります。

2001.10.04(117)

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