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2001.4.28 | 店長おとぼけコラム

2001年1月~4月

■チューリップ

20010428

 下の写真はチューリップ3万本で作ったアンパンマンの壁画です。穴あきボードにチューリップを刺して作ります。縦1.8メーター横9メーターあります。この花の壁画は球根育成のため開花直後摘まれて捨てられるチューリップを利用します。そのチューリップを摘みに新潟まで行って来ました。バスで約8時間かかります。新潟はチューリップの出荷量が日本一の県です。1口に3万本といいますが大変な量です。ひとり1時間で約1000本摘めます。2時間も中腰で摘むと腰が痛くなります。チューリップの花から10センチのところを手でポキッと折るわけです。これが実に簡単に折れます。ポキポキと指を折る音に似ています。一面のチューリップ畑の中で摘む作業は楽しいものです。前日は快晴のポカポカ陽気なのに当日は雨で気温もぐんと下がり寒い。さすが新潟、なめてはいけません。

花を折って叱られたことはありますが、喜ばれたことは初めてでした。神戸に帰ってからもチューリップを見ると無性に折りたくなります。あのポキッという感触が忘れられません。

2001.04.28(83)

■MAMA HEAD

知人がプロドラマーとして活動しているバンドの名前です 。そのライブ(最初コンサートと書いて何かおかしいと思いやっと出ました)に行って来ました。ライブハウスの中は大音響で、履いているチノパンがビリビリと振動するのが分かります。当然、鼓膜と大脳もバリバリ震えています。縦乗りが出来ない我々の目の前で、神がおりたように知人がドラムをたたいています。さすがに巧い。

全身全霊を入れて打ち込めるものがあるのはすばらしいことです。それで食えれば最高です。

2001.04.12(82)

■天才少女

アメリカに留学している知人の娘さん(高3)からエアメールが届きました。その長い文面からアメリカでの高校生活をエンジョイしている様子が手に取るように伝わってきます。「めちゃ楽しい」という言葉が10回は書かれていました。そんな中で「私、数学は天才って言われてんね。だってアメリカ人は7×8も電卓たたいてんねんで」。そういえば、去年、別の娘さんが同じくアメリカに留学していましたが彼女は先生より数学が出来るということでした。最近、中高生の学力低下が盛んに話題にのぼりますがこと数学に関してはアメリカより平均値は上の様な気がします。アメリカは貧富の差が激しいのと同様、学力の差も激しいのでしょう。

九九の威力って結構すごいもんですね。九九がなかったら日本人も電卓をたたかないといけないところでした。

2001.04.06(81)

■お礼の言い方

店の前で濃いサングラスをかけた男性に呼び止められました。「このあたりの2階に耳鼻咽喉科があるんですがご存じないですか?」目の前に大きく看板が出ているのにおかしいなと思ったら「私、目が見えないんです」「そうですか。それじゃ案内しますので、肩に手をかけてください」と言って、耳鼻咽喉科のカウンターまで階段を昇っておつれしました。そして別れ際、男性が私に

「このご厚意は別のところでお返しさせてもらいます。」と言いました。
厚意を受けた方もした方も双方気持ちがいいお礼の言い方だと感心しました。

2001.03.24(80)

■新聞奨学生

今朝、新聞奨学生モグ君の最後の新聞配達でした。2年間無休の新聞配達と学校卒業に大きな敬意を表して花束を贈りました。そもそも新聞奨学生とは新聞配達(当然朝と夕)をする事を条件に新聞奨学会から年間80万円の奨学金と、新聞販売所からは住居と給料が 支給されます。奨学金を原資として学校に通うわけです。モグ君は朝3時半起床、新聞配達を終え、コンピューターの専門学校に行っていました。学校を終え夕刊の配達、そして課題をこなすという毎日。Macに関してはここ2年間でアニメーション分野において数々の賞をもらっている、ほとんどプロです。

「ぼくのあだ名を知ってるかい。朝刊太郎と言うんだよ。新聞配ってもう3月、雨や嵐にゃ慣れたけど、やっぱり夜明けは眠たいな。」こんな40年前の歌を思い出した今朝の寒さでした。

20010316
梅は満開。でも 夜明けはまだ寒いッス

2001.03.16(79)

■美身(ミシン)

母が傘を縫っていましたので、幼いときからミシンは身近なものでした。足踏みミシンを小学生の時から使い始め、ヨットのセールでスケートボードの袋も作りました。
今回17年使っているミシンの調子が悪いので新しいミシンを買うことになりました。新聞の折り込みで見たミシンを電話で注文しました。9800円。なんと安い。昔はミシンといえば嫁入り道具として高価なものでした。早速、サービスマンと営業の女性が現物を持って説明にきました。たった9800円のために2人もやってきたのがいかにも怪しい。そのサービスマンはしきりに「下糸の調整が難しい。このことを納得してから買って欲しい」と繰り返し、繰り返し言います。見ていると確かに下糸の調整はドライバーを使わなければならないほど複雑なものでした。

結局、サービスマンの『買わない方がいい』と言わんばかりの説明だったのでそのミシンは購入しませんでした。代わりに、調子の悪い今のミシンを500円で調整して帰っていきました。

追記 京都では嫁入りの時持参する道具を目録にします。ミシンは「美身」と書きます。テーブルは「手震 」。(これは冗談)

2001.03.13(78)

■メンズエステ

近くにエステができたので奨められて行って来ました。予約の電話をまず入れて、「メンズエステ予約したいんですが」「コースは?」「トラブルコースを」「色々ありますが」「何があるんですか?」「ホワイトニング、リンクル、リフティング」「それ、何ですか?」「ホワイトニングは美白、リンクルはしわ取り・・・」「別に色白になりたくないのですけど、しわも別にとってほしくないんですが」「お客さまどんなトラブルですか」「油ぎってるんですが」「それではリラックスフェイシャルを」ということで40分のコースを受けました。個室のベットに寝そべり、お姉さんの やわらかい指に顔をまかせてマッサージ、老廃物の吸引、そしてパック。ほんとくせになりそうな気持ちよさ。デコボコなりにもつるつるのお肌になりました。

そして、一晩寝て朝起きたらビックリ、元のアブラギッシュな顔に戻っていました。

2001.03.04(77)

■カルシウムハウス

京都のオカマバー「カルシウムハウス」に行って来ました。日曜だというのに満員の盛況。お客の八割が女性でした。とにかくママのトークは絶品で、へたな吉本の芸人の100倍おもしろいものでした。私は店に入るととても懐かしく感じました。というのも、私は京都西陣の色町五番町の近くで生まれ育ちました。友達の家はオカマバーを経営しており、小学校の頃は毎日遊びに行っていました。お父さんはネットをかぶってふとんにはいっています。住み込みの男ねーちゃんが数人うろうろしていました。私は男なのになぜ女装をしているのかその時は理解出来ませんでした。美容整形技術がまだ発達しておらず、きれいなオカマは皆無でした。その光景を理解出来るのに10年の歳月を要しました。

私も一歩間違えればアミタイツを履いてカルシウムハウスのステージで踊っているところでした。

2001.02.26(76)

■取調室

私は高校時代ヨット部に所属していました。艇庫は琵琶湖にあり、シーズンオフの冬はヨットのペンキ塗りに琵琶湖まで通いました。その日は3人でヨットの整備に行きました。冬で平日の ヨットハーバーは誰もいません。ふと見ると艇庫の前の桟橋に真新しい自転車だけがポツンと止めてありました。早速その自転車に乗って遊び、とうとうペンキまで塗って艇庫の中に保管することにしました。それが事件に巻き込まれる発端でした。その自転車の持ち主は釣りに来て桟橋から転落死していたのです。手がかりはその自転車だけ。警察は必死に自転車を探します。そして艇庫の自転車を見つけたのでした。我々3人は拾得物横領で警察に呼び出され、取調室へ。3人別々に調書を取り、つき合わせてつじつまが合っているか確認します。

取調室に入るなり私は聞きました。
「ボ、ボクは前科1犯になるんでしょうか?」

追記 友達の新米社長は同じクラブでしたが、ペンキ塗りのような地味な作業はサボります。そしてこの時も難を逃れたのです。いつの時代も真面目で正直者がバカをみます。

2001.02.22(75)

■タッチタイピング

最近気が付きました。45才前後の女性はパソコンには不慣れですが、キーボードは慣れたものでタッチタイピングが出来る方が非常に多いのです。これはその昔、タイプライター教室がはやっていて、みんな3ヶ月という時間と金をかけて修得したものと思われます。そして現在、タッチタイピングは「特打」等の練習用ソフトを使えば2週間で自分で修得できます。うちの濱田は私の約100倍のスピードでキーボードを打っています。これも「特打」のおかげです。

ホント、 「特打」を使っても上達しないのは何なんでしょうか?ボケ防止でキーボードを打っているわけではないのですが、私は。

2001.02.15(74)

■ワイヤレス

最近はパソコンのキーボード、マウス、ターミナルアダプタとワイヤレスがはやっています。確かに煩わしいワイヤがない分ずいぶんとすっきりしています。しかし、ここにわなが潜んでいます。まず、キーボードの電池が1ヶ月から2ヶ月で切れます。この時が問題です。パソコンが立ち上がらないのです。この時は、かなりパソコンを使い込んでいる人でもパニクッてしまいます。先日知人のパソコンが夜中気づくと自動的に立ち上がってきました。原因ははっきり分からないと言っていましたが電話にも反応して立ち上がることがあるといいます。

ホント、目に見えない物は信用できません。

2001.02.09(73)

■グレードアップ

FIREWORKS,PHOTOSHOP という画像処理のソフトを使っていますが最近相次いでグレードアップされました。その度にむなしさを感じます。ソフトの機能を修得する能力がグレードアップに付いていかないのです。手つかずの解説書だけが棚に貯まっていきます。知り合いに26才の専門学生がいますが彼は一年でFLASHというソフトまで極めています。私があと100年かかっても無理なことをたった1年で・・・。若い世代の人間は画面を見てどんどん触っていき、機能を修得していくようです。我々中年層は解説書を読みながらひとつひとつ確認しながら修得していきます。ですから時間がかかるのです。

死ぬまでグレードアップに追い回されると思うとぞっとします。

2001.02.06(72)

■競馬

知人が保険の査定をする会社(財団法人)を退職するといいます。辞めてどうするのか尋ねたところ、なんと競馬で生計を立てるというのです。彼は昔から馬券を研究しており給料は全て手つかずで生活していました 。その理論とは2番人気と4番人気の馬を組み合わせて徹底的に買い続けるというものです。普段は説得力のない人間ですが、こと競馬に関しては説得力があり周りの者はそれをまねて随分スッテいました。最近は万馬券ねらいだそうです。100回に1回当たればいいといいます。

決して彼の生き方をまねしないようにしてください。彼は当然独身、結婚歴なし、リアップ使用中。

2001.01.31(71)

■TV好き

商店街の副理事長は60才を過ぎたとても真面目で厳格な方です。関西TVから岡本商店街の中で生放送を行いたい旨依頼がありました。打ち合わせの席で若いプロデューサーに意見を始めました。「昨今のテレビ番組は低俗なものばかりで、このままいくと日本はだめになる。 あなたがた若い番組制作者はもっと真剣に考えてもらわなくては困る。先日もあるテレビで今の若い人たちの好きな言葉が『棚からぼた餅』というじゃないか。情けない。」若いプロデューサーはさかんに恐縮しておりました。

うわさではこの副理事長は大のTV好きで低俗な番組を見ては「情けない。」とひとりつっこんでいるらしいのです。

2001.01.25(70)

■一部上場

恥をかいた話。これはテレビネタ。会社説明会での話。何か質問と言われ、男子学生が手を挙げ聞きました。「御社は一部上場ということですが、いつ全部上場するのですか?」
知人の中学校の先生は自身の大学入試の時、「この数学の問題間違っています」と教官に自信を持って言いきって恥をかきました。

私?たくさんあってイチイチ覚えていません。人生そのものが恥かいてますから。

2001.01.20(69)

■名前が出ない

「両親は私と犬の名、間違える、毎回そうやん私犬並み」(高三、竹田加奈子)という短歌を目にしました。親というものはどうして子供の名前がすぐ出てこないのでしょう。私も二人の娘を持つ身ですが必ずといっていいほど違う方の名を呼んでしまいます。3人子供がいれば正解は必ず一番最後です。

知人の中学校の先生は一番下の小学生の娘を呼ぶ時、こともあろうに最後は「かーさん」と呼んでいました。ホント大丈夫かいな。

追伸 コラムを読んだ奥さんからご指摘がありました。最近は子供の名前の間に「コメット」という犬の名前が入るらしいです。

2001.01.15(68)

■締まらない話

夕食を約束していた知人から昼すぎに電話がはいりました。「原因不明の激しい下痢で、今朝からもう4回もトイレに行っている。くしゃみしても出そうや。最近はケツまで締まらんようになってきた。」というので「情けない。ティッシュ詰めて出てこい。」と言ってやりました。

よくよく考えれば私は知人より激しい下痢でした。

2001.01.14(67)

■治水

治水の考え方が大きく変換されたと新聞に出ていました。今までは川幅を広げたり流れを変えたりして洪水を防ぐ「押さえ込む治水」からわざと堤防を低くして遊水池に貯めるなどした「溢れさせる治水」に考えを変えたのだといいます。この考えは子育てにもいえるのではないでしょうか。子供をいい子、いい子として扱い、知らず知らずに個性を押さえ込んではいないでしょうか。もっと自由に育て、それこそ溢れたら親としての大きな遊水池で受け止めるぐらいになりたいものです。

今世紀になって説教がましいコラムが続いて申し訳ありません。分かっていながら思わず書いてしまう、おやじの性(セイと読むな。サガや)です。次回はあなた好みの自虐ネタでいきます。

2001.01.09(66)

■過去からの手紙

1985年に筑波で科学博覧会が開催されました。その中の企画で2001年元日に手紙を届けるポストカプセル郵便 なるものがありました。非常に夢のある企画です。この企画にのったのが義理の母です。当時2才の孫(私の娘)に宛てて手紙を書きました。それがこの元日届いたのです。16年の時を超えて届いた過去からの手紙。郵政省も良く覚えていたものです。その文面 は当時のことがよく伝わってきて感動しました。その母は自分の娘(当時20才)と息子(当時26才)にも書きました。それもきっちり実家に届きました。

が、母はすっかりそのことを忘れていて、自分の字でありながら覚えのない手紙を気持ち悪がって開封して読んだのです。そしてやっと思い出したのです。
それは過去から届いた自分への手紙でもありました。

2001.01.04(65)

■10円玉と顕微鏡

娘の数学の先生が微分の最初の授業で10円玉と顕微鏡を持って教室に来ました。そして10円玉 の端を顕微鏡で見せたのです。丸い10円玉が顕微鏡で見るとその一点では直線に見える。微分の本質が目で確認できた瞬間です。難しい微分の本質を目で見せる。それ以降微分が良く理解出来たといいます。何でもそうですが上っ面 のテクニックばかり理解しようとしてもだめで、物事の本質を理解するのが大切です。私はこの先生を見習いたいと思います。

そういえば小さいときから母親にはよく言われました「分のことは分でしなさい」と。

今年もこんなラベルの店長コラムですがよろしくお願いいたします。そしてたまには傘の方も買ってやろうかと思っていただければ大望外の喜びです。

2001.01.01(64)

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