2009.12.30 | 岡ちゃんのぐだぐだコラム
2009年7月~12月
■2009年の終わりに
「青春の門」をまさに青春時代に読んだ俺にとっては五木寛之氏はやはり特別の存在である。車に一番凝っていた頃読んでいた自動車雑誌に五木氏の連載があった。題名は「走れ逆ハン愚連隊」だったと思うのだが、それは超金持ちのおっさんが、自分の数多くの自動車のコレクションの中からただ1台、ベンツのゲレンデバーゲンだけを残し、それに乗って旅をするというのが大雑把な筋だったと思うが、五木氏自身が車好きであることもよく分かり、こういうところも大変気に入っていた。その五木氏が最近、週刊誌で、昨今の日本の状況には「下山の思想」が必要と書かれていた。曰く、下山は悲観すべきことではない、むしろ文化が成熟するときであると。色んなものを見て、むしろ楽しみながら気をつけて下山するのが今の時代であると言われているのだと俺は解釈した。今年、俺は何年かぶりに乗鞍岳のマウンテンサイクリング大会でギリギリゴール出来たが、確かに頂上のゴールを目指している時は、下界を見る余裕などもちろんなく、ただひたすら数メートル先のアスファルトの地面だけを見て黙々と自転車を押しているだけである。今年は霧で風景は見えなかったが、ゴールの後、下り坂で見る風景はすばらしいし、途中で立ち止まり滝の水を飲んだり、草花を観賞したり出来るのは確かに頂上を極めてからの下山の時であるからこその余裕かもしれない。年が明けると俺も55歳となり、もうとっくに人生の折り返し点は過ぎているが、日本の経済とともに下山に入っているなという事は実感としてわかる。でも五木氏の言われるように下山の時こそ本来の楽しみがあると信じてまた来年も色んなところへ行き、色んな事を経験してきたいと思う。毎度の事ながら最後までお付き合い頂きました数少ない読者の皆様ありがとうございました。許される限り来年もしょうもない独り言を続けたいと思います。それでは、皆様よいお年を。
2009.12.30
■カードの呪縛(3)
年末になると犯罪が増えるのは以前からのことやと思うが、最近は特にコンビニ強盗が多いように思う。俺はいつも思うが、日本ではそもそも現金を使うというか、必要とする場面が多すぎると思う。統計的に見ても先進国では日本は現金取引の割合が多い部類に入ると聞くが、実感としても確かに多い。スーパーのレジでも、コンビニでも現金の扱いをすると、時間もかかるし、金種も増えるし、間違いもあるし、強盗も来るわで、何にもエエことがない。最近でこそ、電子マネーが普及してきたが、もっと、色んな形で現金を減らして欲しい。だいたい小銭なんか持ち歩かんでもええのが理想やね。アメリカでは結構ポピュラーと聞く、デビッドカードもJデビッドとか言うてた割りに、いったいどうなってるんや。クレジットのような後払いが嫌いな人も、デビッドならエエやろと思い、結構というかマジで俺は期待してたのに、今や、ほんとんど聞かんようになった。導入初期のころ京都の土産モン屋さんが反対したとか記憶にあるが、まあ、それだけではないやろけど、日本では定着しそうな感じは全くないね。既に失敗やったっちゅうことかね。やっぱ、日本人はキャッシュが好きなんか、キャッシュしか信用せえへんのかどうか知らんけど、そもそも年金も預金も株も債権も土地の登記もすべてデータで処理してんねんやから、データに頼るしかしゃあない世の中になってしもてる。そんなはした金だけキャッシュにこだわってもしゃあないと思うねんけどな。
2009.12.25
■カードの呪縛(2)
プラスチックマネーとはよう言うたモンで、単なるプラスチック片が打ち出の小槌のように見え、現金をいくらでも出してくれるような錯覚に陥る。しかし、カードでの買い物やキャッシングは将来の所得を前借りしているに過ぎないということに気づくのは後になってからである。巷間話題になっている国債の発行も将来に借金をツケ回ししているに過ぎないというのも良く似たもんであるし、覚せい剤や麻薬で元気が出るのもこれも結局、将来の体力や気力を前借りしているに過ぎない、と説明する人もいて納得する話である。そして多くの場合は前借りには利息やプレッシャーがつき物で、借金を返すために借金を重ねるというようになると破滅の入り口に立ったも同然である。しかも、最近のカードはマイルやポイントがたまるように出来ているものが多いので、買い物をしておまけでマイルが貯まるのが、いつの間にかマイルを貯めるために買い物をするような状態に陥ってしまう。カードの決済日まえに口座に残高がないときのある種の恐怖感は確かに相当なもんで、中小企業の経営者が資金繰りに困って預かっている源泉税や消費税を運転資金につかってしまうというような事も気持ちがわかるようになる。それでも、資金繰りがなんとかなった途端に恐怖を忘れてしまうというのも厄介なもので、クレジットカードの仕組みというのは、人間の本質を利用した上手く出来た仕組みであると思う。そして色々考えてみると、携帯電話を持たないとか、カードは一枚も持たない、という人は、不便そうに見えて、実はより自由な世界を手に入れているのかもしれないと思えてくるのである。
2009.12.11
■カードの呪縛(1)
日本もカード社会と言われて久しいが、最近はカードの始末には往生する。忘れもしない昭和58年、初めて九州に行き3県を回ったとき、福岡から宮崎への移動の途中で手持ち現金がほぼ無くなってしまい、その頃の俺にとっては十分高級なリゾートホテルにせっかく泊まっているのに旅の後半が心配で眠れなくなった。そしてベッドの中で翌日以降のことをあれこれ思案しているとき、知り合いが就職したクレジットカード会社のカードをその知り合いの目標達成のために頼まれて作るだけ作って財布の中に入れてあるのを思い出した。当時は、クレジットカードの使用はそれほど一般的ではなかったし、もちろん俺も使ったことも使うつもりもなかった。「そや帰りの飛行機のチケットはあるんやし、明日以降は支払いを全部カードでしたらええんや」と思いついたまではよかったが、今度は、俺のJ社のカードが使用可能かどうかが気になり、やっぱりまた寝られなくなった。当時は、ビザ、マスターはほとんど無かったと思うので、日本のどこかのカード会社が一般的であったと思う。J社は大手なので心配ないやろ、とは思いながらもそこは小心者なので、どうしても落ち着かず、夜中にわざわざホテルのフロントまで降りていって、フロント脇のカード会社の看板を確認してやっと安心して寝られた。翌日は土産物も全部ホテルで買い、ホテルの支払い、レンタカー代、ガソリン代なども全部カード支払いをし、生まれて初めてクレジットカードを使って、「こんな便利なモンはないな」と感心したのと、ものすごく恩義を感じたのを今でも憶えている。以来、増えすぎてしまったクレジットカードを何回か整理したときも、その後の事情によりほとんど使うことの無くなったJ社のカードだけは解約せずに持ち続けているのである。何事も最初が肝心とか、ファーストインプレッションが重要とか言うけど、確かに俺はこの最初の出来事だけで、持ち続けている。 まあ、カードの便利さは怖さと裏腹やっちゅうことはあとになって分かるんやけどね。
2009.12.09
■高齢化社会
事情があって、両親と温泉旅行に行ってきた。俺の両親は大正生まれと昭和初期生まれであるから十分高齢者の部類に入ると思うが、それでも昔の人は強いとわれるように、まだまだ元気であり、冗談をのけてこっちが先にくたばりそうである。まあ、今回は両親が中心であるから、当然年寄りの趣味というか好みに付き合うことになる。温泉旅館には演劇場というか舞台が併設されているため、お決まりの演歌歌謡ショーを観ようということになった。出演している演歌歌手は有名な人かどうかは分からないが、俺も名前は聞いたことがあるな、というくらいの中高齢女性演歌歌手である。で、演劇場というか舞台のある宴会場というか、そこは、大よそ数百人が風呂上りに浴衣でご飯を食べたり一杯飲んだりしながら観られるようになっており、その場所には、当然といえば当然であるが高齢者が数百人集まっている。ざっと見渡しても、社員旅行と思われる20代の男性が数人、その次は50代の俺が一人、あとは、おそらく平均年齢70歳はあるかと思われる高齢者の大軍団である。普段から高齢化社会到来とか言われてもピンときていなかったが、さすがに昼間の演劇場で正に高齢化社会を体感できた感じがした。あと10年もすると、演歌ショーを見るかどうかは別にして、俺も高齢者の仲間入りをするのは確かなことである。 そうなった時をイメージできるという意味では、エエ体験やったと思う。日本は既に超が付く高齢化社会に入っていると言われるが、これから訪れるさらに超がいくつも付く高齢化社会とは一体どんなもんで、そのとき自分はどうするのか、どうしていたいのか、は普段から考えとかなあかんな、と何故か思いましたな。
2009.11.30
■先入観の罠
電車に乗ろうとしてホームを歩いていると、俺の前を最も嫌いなタイプの若者が歩いていた。茶髪に腰パン、アイポッドを聴きながら、ポケットに両手を突っ込んで、ガニ股で歩いている。そして俺が乗ろうとしている一番後ろの車両の付近で、地面に腰を下ろし、携帯でメールを始めた。最初は一番後ろの車両の一番後ろのドアーから乗ろうと思っていたが、どうもイヤやな、と思い、ひとつ前のドアーに移動した。電車がホームに着き、電車に乗り込んでからさっきの若いニイちゃんの乗り込んだ後ろの方を見ると、一旦席に着いたはずのニイちゃんが、車両から降り、電車の一番後ろにある車掌室まで行き、ホームに出てきた車掌さんと何やら話している。車掌さんがニコニコしているので、文句を言っているのではなさそうやな、と思いながらそっと様子を伺っていると、何やらピンク色のポーチみたいなものを車掌さんに手渡している。車掌さんは礼を言っている様子で、次の車掌さんとの交替のためか、あるいは今預かったポーチを届けるためか分からないが、ホームの階段を上がっていった。どうも、その若いニイちゃんが座ろうとした席に忘れ物があったので、わざわざ電車から降りて、車掌室まで持っていったようである。そして再び電車に乗り込んだそのニイちゃんは、俺の座っている席の横をまた、ガニ股で、ポケットに両手を突っ込んで、ペタペタと歩いて行った。「人は見かけによらぬもの」とか「人はみめよりただ心」とかよく言うが、こういう時は自分の気持ちが恥ずかしくなるのと同時に、昔の人はエエことを言うたもんやな、とホンマに心から感心しますな。
2009.11.24
■トヨタの憂鬱
週刊誌を賑わせているようなネタを扱うのは本意ではないことは再三申し上げておりますが、今回のは、前回ネタのF-1撤退とも関係があると俺は思っているので、ちょっと一言。トヨタのフラッグシップであるレクサスのアメリカでの暴走事故リコール問題は、もちろん俺みたいにレクサスには乗ってない(ちゅうか乗れない)者でも、「一体どないなってんねん」と思うところが大きい。アメリカ本国に比べ日本のユーザーには情報が少ないっちゅうのも気になるところで、その昔、輸出車には付いていたサイドインパクトビーム(安全器具の一種)が日本国内向けの車には付いてないことが分かり、「日本国内のユーザーを軽視してる」と話題になった頃を俺は思い出してしもた。問題の本質はだいぶ違うかもしれんけど、日本のユーザーはいつも後回しにされてるような気になってしょうがない。俺は近年、激安中古輸入車しか乗ってないが、人から車の購入の相談を受けると「トヨタの車は世界一や」とトヨタからは一銭ももらってないのに、トヨタ車の品質、サービス面を宣伝している。その品質世界一の(ハズの)しかも最高ブランドのレクサスが不具合ではこれはまったくシャレにならん話や。アメリカの陰謀説やらも飛び出しているが、現実に起こった事はとにかくはよ解明し、トヨタお得意の改善をしてもらわんことにはそれでなくともフラフラの日本経済と日本のためにも困るっちゅう事や。俺は個人的にはトヨタさんには縁もゆかりもないんやけど、何せ知り合いには関係業界で影響をモロに受けるモンがいるんで、ホンマに切実な問題や。こども店長のCMもエエけど、モノづくりだけはちゃんとやってや、頼むで。
2009.11.17
■見果てぬ夢
今シーズンの終わりに合わせ、示し合わせたようにブリヂストンやトヨタがF-1撤退の発表を行った。昨シーズンホンダが撤退を発表した時にトヨタは撤退せえへんて言うてたんちゃうのかい、て思うけど、まあ米国でのリコールの事も含め、さすがのトヨタもこんだけ調子が悪いと、まあしゃあないのかな、とも思えてくる。俺のようなホンダ=鈴鹿ファンの多くはホンダはレース屋が車を作ってると思うてたが、ホンダ撤退の真相がよく分かる「さらば、ホンダF-1」なんかを読むと、もう、そんなレース好きのノスタルジーが叶うような自動車メーカーは日本には無いと言える。トヨタもサーキットそのものから買収して満を持してF-1に参戦したと思うが、結局一回も勝てずで、所期の目的は全く達成できてないのんちゃうかと思う。まあ、関係者はさぞかし悔しいに違いないやろね。 以前にも書いたと思うが、長い間F-1のファンである俺はオールジャパンで優勝する姿をずっと夢見ていたのである。エンジン、シャーシー、タイヤそしてドライバー、チームすべてがジャパンというのが俺のオールジャパンの定義で、決して夢ではないと思っていた。しかし、インドのチーム参入や韓国での開催等、新興国が躍進してくる中での日本メーカーの撤退はこれが現実であるとはいえ、いかにも情けない。まだ決まったわけやないけど、日本人ドライバーも日本のメーカーも何にもない鈴鹿なんか全然おもろないっちゅうねん。
2009.11.10
■タクシー選択の自由
平日の夕方に京都市内に行く用事が出来、JR京都駅を降りた。行き先は川端松原というところで、京都の事を知る人には「ああ、あのへんか」とわかるように、南北の通りである川端通り(その名の通り鴨川沿いである)と東西の通りである松原通の交差するところである。そしてこの場所にはバスで行ったことがなく、少し時間の余裕があったので一度バスで行こうと思い市バス乗り場を探したが、結局分からなかった。そもそも四条より南の川端通りを走る市バスがあるのかどうかもわからない。いつも思うが、京都駅のバス案内はどう考えても分かりにくい。これ初めて京都に来た観光客や特に外国からのお客さんなど、分かるねんやろか、といつも思う。いくつかバス停の路線図を探しながら結構広いバス乗り場をウロウロしているうちに結局時間がなくなってしまって、今回もタクシーで行くことにした。俺は高校3年の頃、京都駅から烏丸車庫までほぼ毎日タクシーで通学していたことは前にも書いたように思うが、その頃は確か、タクシーは小型と中型は乗り場が分かれていて、さらにハイヤーの乗り場も違うところにあった。当然4人で小型のタクシーで行くのが普通やが、列が長い時は待っていると遅刻するので、空いている中型で行ったし、さらに中型も列が長い時は贅沢にもハイヤーで高校まで行ったこともある。その頃に比べると京都駅前のタクシーの数は飛躍的に増えたとは思うが、なぜか今は乗り場がひとつしかない。当然、タクシーは小型と中型が混在しているので、自分の乗る順が回ってきた時、小型が来るとは限らない。で、いつもの通り「中型はいややな」と思っていると、必ず中型が来る。俺みたいに一人で近距離で乗るもんは、もっと小さい軽自動車でもエエくらいやのに、「なんで一人で高い中型に乗らなあかんね」といつも後ろの席で運転手さんに聞こえんようにブツブツ言っている。乗り場を分けてしまうと中型に乗る人が少ないからかな、とは思うけど、これ利用する客に選択権があってエエのんちゃうの。
2009.10.28
■賢いカーナビ
はじめて名古屋に車で行く用事が出来、ちょっと道が不案内なので、急遽カーナビを買うことにした。最低限の機能があればいいので、4万円前後の昨年のモデルを買った。人の車のカーナビは初期の頃から見ているが、最近のカーナビは以前とは比べ物にならないくらい安くても俺にとっては十分の機能で、初めて行く土地の住宅街の最後の路地を曲がるところまで指示してくれた。以前のカーナビはちょっと予定のルートを外れるととたんに混乱してしまい、黙り込んでしまうことがよくあったと思う。「おい、何で黙ってるねん」とカーナビに何回もツッこんだことがある。最近は俺の安モンのカーナビでも、ルートを外れても30秒以内に新しいルートをちゃんと探して修正してくるからエラいもんである。「おい、オマエ賢いな」と何回も言っている。しかも、目的地や自宅に到着すると、「運転お疲れ様でした」と家族の誰よりも親切である。しかし、こんな便利なものに頼りかけると、地図を見る、というか地図を読む能力がどんどん低下していくんやろなと思う。昔、新人職員研修とかで、地図とコンパスを片手にオリエンテーリングとか言うて、野山の中を歩き回ったことがあるけど、いまどきやったらこんな研修成立せえへんのちゃうか、と思うね。まあ、何かが便利になると、何かを失うっちゅうのが、世の中の道理かもしれんけど、自分の人生だけはどんなにナビが進化しても進路は教えてくれへんね。
2009.10.22
■迷惑なメール
俺は普段いわゆるフリーメールを使っているが、最近特に迷惑メールが増えた。このアドレスは色んなところに登録しているため、ある程度は仕方がないかなと思っているし、登録の変更もじゃまくさいため、結局迷惑メールを毎日こまめに削除するのが日課になっている。だいたい一日平均50件から100件くらいで、多いのか少ないのかは分からない。こないだは旅行で3日間チェックをしないでいると、300件を超える迷惑メールが溜まっていて消すだけで一苦労した。そして、この迷惑メールを削除するという行為があまりにも日常になってしまっているため、こないだは出張先のホテルのロビーで10分100円のインターネットサービスでメールチェックしているとき、いつもの癖で先に迷惑メールを削除していて時間切れになってしまうというバカな事もやってしまった。癖とは怖いもんである。ふと我にかえって、「あれ、俺は何で金払うて迷惑メール消してるねんやろ」と自分でもアホちゃうかと思ってしまった。そして、さらに迷惑なんは携帯メールで、俺の携帯電話は古いけど海外対応のため、海外にいるときは迷惑メールにも俺が金を払っている事になる。携帯メールのアドレスなんかは限られた知人にしか教えてないため、誰かが外に流したのか、携帯電話を紛失した時にアドレスを盗まれたのか、とにかく疑心暗鬼になってしまう。人の信頼まで奪ってしまうこの迷惑メール何かエエ手はないのんかいな。
2009.10.19
■乗鞍の夏(最終回)
夏の終わりの乗鞍のことを書いているうちにすっかり秋になってしまったので、最終回にします。さて、乗鞍岳のてっぺんを目指して自転車で上がるこの自転車レースのコースサイドにはいくつもの滝があることは有名なんやが、俺が最初にこのレースに参加した5年前からは完全に風景が変わったなと思ったのは、小さな滝に全然水が流れていないこと。水が流れていないから滝とは言わんのかもしれんが、以前滝が流れていた所というのは明確にその跡でわかるので、言うてみれば、滝が干上がってしまっている状態である。俺はいつもレース途中から自転車を押して歩いているので、休憩がてら小さな滝で顔を洗ったり、水を飲んだりして勝手になごんでいる場所が何箇所かあったが、最近はそういうことも出来なくなった。また、頂上近くにはこれも有名な大雪渓が夏でも見られる場所があるが、これも5年前の最初の参加の時以来お目にかかっていない。いわゆる地球温暖化の影響なんかどうかわからないが、本来あるべき滝の流れや雪が無くなっているのはやはりどこかがおかしいと思わざるを得ない。レースが終わって林の中の小道を旅館に向かって帰る途中、以前はきれいに蕎麦の花が咲いている畑がいくつもあり、そこでは観光客が熱心にカメラを向けている光景が見られたが、今はそこも荒れ放題である。それぞれに理由や事情があって今の姿になっているのは間違いないやろし、1年に1回遊びに行っているだけの者に何が出来るのかとも思うが、それでも何かせんとこのままではあかんな、と自然と思えてくる夏の終わりでした。
2009.10.10
■乗鞍の夏3
スタートが予定より30分早いとはいえ、俺の自転車は古くて重いマウンテンバイクである。周りは当然、高価そうなロードレーサーに乗った本格的な選手ばかりであるからスタート直後の平坦路は何とか着いていけても、一つ目の坂でもう既に俺は脱落である。他のメンバーに先に行ってくれと言い、とりあえずマイペースで第2チェックポイントだけを目指すことにした。第2チェックポイントまで15kmと聞くと簡単そうであるが、スタート地点からは標高差が1100mくらいはあるほぼ100%の登りである。スタート地点で既に海抜1400mを超えているから、ただでさえ練習なしで苦しいのに、酸素の薄いのがさらに苦しさに拍車をかける。ほぼ10分おきくらいに後続のクラスがスタートしているはずだが、あっと言う間に、2クラス分くらい抜かれてしまった。最初こそ気になったが、やがて全然気にならんくらいフラフラになってきた。それでも第1チェックポイントには1時間ほどかかりたどり着いた。本来ならここでゴールやったのにと思いながらも、仲間がいる第2チェックポイントを目指した。第2チェックポイントが閉鎖されるのは10時半であるから、あと1時間半以上かけられる計算である。しかし、足は既につりかけているので、10km地点の手前からは自転車を押してあがることにした。このレースは毎年、地元長野放送の特別番組が組まれており、レポーターがレース途中の選手にマイクを向ける。特に俺のように制限時間ギリギリでケツの方にいると結構取材されることがある。今回も必死で自転車を押していると、行く手で女子レポーターが待ちかまえていた。そして俺にマイクを向け「調子はどうですか?」と嬉しそうに聞く。メチャクチャしんどかったが「いや~、イマイチです。」と必死の作り笑顔で答えた。「どうしてですか?」とまたアホみたいな事を聞くので、「いや~、練習不足です。」と答えた。本当は「自転車押してんの見たらわかるやろ、ボケ」と言いたかったところである。まあ、俺らみたいに底辺の者がいるからレースも幅が出来るし、テレビ番組も成り立つと勝手に思っている。そして、そんなことをしながらも何とか目標の第2チェックポイントまではたどり着いたのである。あ~しんど。
2009.09.30
■乗鞍の夏2
20名を超える寄せ集め選手団となったウチのチームにもシロートとしては十分早い選手もいるにはいる。しかし、他チームの参加選手のようなストイックな者はおらず、レース前日は他の選手たちが黙々と練習や自転車の手入れに励んでいるのをしり目に、貸切状態のテニスコートでテニスに興じ、汗をかいた後は露天風呂でビール。晩御飯の後はまたロビーで宴会と、ほとんどのまじめな参加者から見たら、レースをなめてんのか、と言われても不思議はない。それでも、俺たちのチームはどの参加者よりも楽しんでいるという意味では一番と思っている。まあ、俺の場合は今年ビギナーズクラスやから、と高をくくっていたというのもあったんやが、第1チェックポイントになると思っていたウチの給水ボランティア班が15km地点にある第2チェックポイントの配属と聞いて愕然とした。第1チェックポイントのゴールを過ぎて第2チェックポントまで上がるにはたぶん、ゼッケンもいるし、だいいち練習はゼロであるから、以前2回リタイアしている第2チェックポントまで行ける自信は全く無い。さあ、困ったどうしようと考えていると、選手の一人がレースへのプレッシャーなのか、おそらく神経性の下痢で朝になってレースを断念すると言う。昨年出場し完走の実績がある人だが、2回目の方がプレッシャーがかかるという典型的な症状のようである。下痢では腹に力が入らんし、しょうがないですね、と慰めていると、メンバーの一人が「それなら自転車貸してください」と自分のより軽いその人のロードレーサーを借りた。すかさず俺も「それなら、ゼッケン貸してください」と背中とヘルメットのゼッケンを借りた。その人は50歳代のロードレーサーのクラスなので、俺のビギナークラスよりはスタートが約30分早い。最初のスタートから4時間後にゲートが閉まるこのレースで30分の余裕は断然大きい。本当はゼッケンを借りるのは駄目だが、そもそも第2チェックポイントまで行けるかどうかも全く怪しい状態であるから、とにかく第1チェックポイントを越えるための通行手形替わりに借りたようなもんである。あっと言う間に自転車とゼッケンを取られてしまった下痢腹メンバーは「こいつらハイエナみたいなやっちゃな」と嘆いていたが、自分のためなら何でも利用するのもウチのメンバーの特徴である。そしてレースの火蓋は切られたのである。
2009.09.24
■乗鞍の夏
3年ぶりに乗鞍高原に行ってきました。何のためって、それは「全日本マウンテンサイクリング大会」という日本最大級の自転車ヒルクライムレースに出るためです。何回かこのコラムでも書いてますが、全国から坂好きの自転車通が何千人も集まってくる本格的な大会です。俺は3年ぶりの出場になるが、過去2回途中リタイアしているのになぜ参加したかと言うと、今回からビギナーズクラスが出来たから。これは、全コースの約3分の1のところにある第1チェックポイントをゴールとする初心者クラスで、これなら完走できるやろ、と思い申しこんだわけです。まあ実際はここまででも十分急な上り坂はあるが、ここを過ぎてからが本格的な山岳コースになるので、そもそも練習も1mたりともしてないし、こんなもんにしとこという訳です。もうひとつの理由は、ウチのチームからはここ何年かコース途中に2箇所あるチェックポイントに給水ボランティアを出していて、そのメンバーには今年は俺の家族も含まれているし、たぶん、第1チェックポイントに配属されるだろうという見込みもあったわけです。まあ、そんなこんなで週末ETC割引の恩恵も受け、20名を超える大選手団となったわけですが、何事も予定通りいかんのは世の常で、全くの想定外があるからレースは面白いちゅうわけです。詳細は次回以降に
2009.09.15
■格安航空券
9月の終わりにシンガポールに行く予定があり、せっかくなので、まっすぐ日本に帰らないで、ベトナムの知り合いのところに寄ってから帰ろうということになった。数人の旅行であるが、それぞれ仕事の関係やなんやかやで、基本的に現地集合・現地解散である。このため、航空券は自分で手配するようにということで、航空会社のHPのアドレスを教えられた。俺は、海外旅行は今までツアー以外では行ったことがないので、どうやって申し込むねん、と最初は思ったが、当たり前のことであるが、HP上では指定された項目を順番に入力すれば、航空券はもちろん、座席まで指定できるようになっている。そして、セコい俺は、格安航空券といえば一番に思い浮かぶ大手安売り旅行会社Hにもっと安いチケットはないかと店頭に行った。窓口で対応してくれた若いニイちゃんに「ネットで照会したこのチケットより安いチケットありませんか?」と聞くと「いま、ウチから出せるのも今見ておられるのと同じチケットになります」という。しかも、「同じチケットですけど、店頭販売になるので、高くなります」とネット販売より9,000円ほど高い見積書を出して言う。しかも、「シンガポールからホーチミンはノーマルしかないので4万円超えます」と信じられない事を言う。「そうですか、また連絡します」と言って帰ってきた。その晩家に帰って教えられた格安航空会社のHPでシンガポール~ホーチミン間のチケットを確認すると、86シンガポールドルとなっている。これなら日本円で6,000円を切る値段で、いくらローコストキャリアとはいえ、この差はあまりに大きい。だいたい航空券て、期間とかクラスとか何とかで、一体何種類あるねん、と思いまへんか。しかも、この頃は共同運航も多いし、一体どこの飛行機に乗ってるのかわからんようになる。安いチケットを探した時の嬉しさもあるけど、これは、どう考えても分かり難い話やね。
2009.09.08
■小心者シリーズ
中国自動車道を走っていてちょうど昼時になり西宮名塩サービスアリアで昼食を食べようということになった。時間に余裕が無いため、フードコートのようになっているところで食べることにし、食券を買いに行った。こういう時優柔不断な俺はなかなか決められないが、ちょうど食券を買うときに近所で人がカレーを食べているのが目に入り、もともとカレー好きなのと、人の食べているものが旨そうに見えるといういつもの癖から、とりあえずカレーは食べようと決めていた。そして食券の券売機に行くと、スタミナ定食だったと思うのだがとにかくそれが目に入った。なぜスタミナかどうかわからないが、これはうどんとカレーの組み合わせである。ラーメンとカレーのセットは今までにもあったが、この組み合わせは始めてで、とにかくこれに決定した。食券をカウンターで渡し、呼び出しがあると取りに行くという手順の後、うどんとカレーをトレーにのせ自分の席についた。こういうとき交互に食べるのが一般的やと思うが、俺も、うどん→カレー→うどん→カレーと交互に食べかけた。そしてカレーを食べる順番のとき、向いに座っている友人と少し話し込み、ふと、トレーを見ると、うどんのだしが流れ出し、トレーが汁浸し(こんな日本語あるかな)になっているのに気がついた。どんぶりを見ると、半分以上だしが減っているので、明らかにどんぶりから流れ出ている。その様子に気がついた友人は「あ、ここにヒビが入ってるで」とどんぶりの側面を指差した。「これ、替えてもらったらどうや」という友人のアドバイスを聞きながらも俺は「いや、ええわ、急いで食うてしまうわ」と残っただしとうどんを大急ぎで先に食べた。しかし、後からこれはいくら何でもと思い、トレーの返却口のおばちゃんに、「これ、どんぶり割れてるで」と言った。おばちゃんは「すいません、すぐに替わりを持ってきます」と丁寧に謝ってくれた。こういう時小心者は「ほな、替わり頼むわ」とか「替わりはエエから金返して」と言うのではなく「いや、もう、ええよ」というのが特長で、謝ってもらったからエエわと本当に思ってしまうのである。その後、席に戻ってしばらく友人と話していると、今度は店長らしき男性が、カウンターの中から出てきて、席の横まで来て「先ほどはすいませんでした」とわざわざ頭を下げに来た。もちろん「ああ、もういいですよ」と言ったが、フードコートの安モンのうどん一杯でこんだけ謝ってもらったらかえって恐縮してしまった。人の金を何百億もドブに捨てても一言も謝らんどっかの国の役人はいっぺんここでうどん一杯から修行するとええやろね。
2009.08.31
■安全ピン疑惑
今回は、色々事情があって、ちょっと静かなメインキャスターのODA氏が可愛そうなような、ほっとしたような世界陸上であるが、いつも駅伝やマラソンで気になっているゼッケンを見ると、俺の見る限り世界陸上でも皆、安全ピンで留めてるんやね。いつもあれ、なんで安全ピンて言うね、と思うくらい、俺はもう何回も指を突いている。ホノルルマラソンやマウイマラソンでも現地でゼッケンをもらい、レース前の晩にホテルの部屋でゼッケンと記録用のチップを靴に着けるのが日課になっているが、せっかく現地で記念に買った新しいランニングシャツに何でピンで穴あけなあかんね、といつも疑問に思っている。しかも、世界陸上ともなれば、世界中のトップアスリートが見られるのに、その鍛え上げられた肉体や、カッコええユニフォームがブラブラしてるゼッケンで台無しやないか、と思う。今時、100分の1秒を争う近代的なスポーツで安全ピンなんか使ってるのん他にあるか、と思うね。俺は、そもそもこのゼッケン何のためにあるのかもようわからんし、まあ百歩譲ってどうしてもゼッケンが必要やとしても安全ピンで留めんでもええやろ、と思う。トライアスロンなんかはピン使わんでもええ方法でゼッケンつけてるみたいやし、もうちょっとカッコええ方法は考えられんかね、ホンマ。ひょっとして、安全ピンの業界とごっつい癒着してるとか、まさかそんな事はないやろね。
2009.08.24
■廃車寸前
俺の車は、今年で14年落ちになる中古のフォルクスワーゲンパサートである。ネットで探して大阪まで買いに行った47万円の車である。このコラムでも再三、中古輸入車の楽しみは書いているし、今後も俺自身はこの楽しみはたぶんしばらくは辞められないが、一般の人に勧められるわけではない。何といっても故障のリスクが大きいからである。俺自身も走っていてボンネットから煙を噴いたとか、洗車機から出られなくなってしまったとか、 国産車ではまず考えられないような事はいくらでもある。この夏、子供が九州に川下りの合宿に行くのに、俺の車を貸してくれと言った。何人か乗り合いで行くという。かなり不安はあったが、最近安モンのカーナビも着けたし、週末のETC割引とか荷物の問題とかを色々考えて貸すことにした。そして、数日後、今どの辺にいるかとメールをすると、帰路の途中で「後ろのドアーの取っ手が壊れたのとワイパーが全く動かん」という返事。ドアーが一枚開かないくらいは大したことないが、ワイパーは怖い。俺の友人で、結構高額な新車の輸入車で高速道路を走っている時に、右のワイパーと左のワイパーが絡まりあって、動かなくなり、それで輸入車に懲りてしまった者もいるし、別の古いイギリス車好きの友人は、高速道路を走っていて、ワイパーが片方飛んでいってしまった、という者もいる。こういう時に、笑い話ですませられる人と二度とこんな目に合いたくないという人の違いで、以後、二度と輸入車には乗らない、という人は結構いる。まあそれも当たり前の話で、だから本当に好きな人にしか、中古の輸入車は勧められないのである。今回も、大雨になればどうなっていたかわからないが、ガソリンスタンドで撥水剤をフロントガラスに塗ってもらい、なんとか凌いで帰ってきた。それも経験といえば経験やが、ちょっと間違えば大事故である。帰ってきた車を見ると、結局、運転席側のドアーもほとんど開かない状態で、ほぼ運行不能状態である。満身創痍と言うとカッコええが要はガラクタである。これをまだ修理して乗るか、それとも、また安い中古輸入車探すかはちょっと考えますわ。こんなこと皆さんは真似したらあきまへんで。(て誰がするかい、ちゅう話ですな)
2009.08.18
■露天風呂
俺は、あまり風呂が好きではない。一般的にオヤジに好まれるサウナも好きではないし、熱い風呂と水風呂の両方苦手である。唯一、露天風呂は好きで、雪景色の中とか、海を一望とか、全山紅葉の中での露天風呂などは本当に気持ちがいい。下半身は温めて、頭は冷やすという身体にもイイ入り方なので、いくらでも入っていられる。今回、ちょっと思い立って、富山に赴任している旧友を訪ねてきた。この悪友はここではとても書けないような恥行(俺の造語です)は数知れずのつわもので、案内を頼んでおいた。夜は、富山だけに旨い海産物とお酒を頂き、結構健康的に早く寝た。翌日は、帰りの電車の時間から逆算し、朝7時半すぎには市内を出発し、宇奈月まで行って、名物のトロッコ列車に乗った。多くの人が終点の欅平まで行き、ちょっと風景だけを見て、すぐとんぼ返りするらしいが、この悪友の企画は途中の駅で降りて、河原の露天風呂に入るというマニアックな計画である。ところが、トロッコ列車の鐘釣駅を降りると、河原の露天風呂の案内看板には大きな×印がついていて、川の増水のため、露天風呂には入れないと書いてある。「え~、入れへんのかいな、残念やな~」と言いながら、「まあ、ええやん、見にだけでも行こう」と山道を歩き出した。数分行くと、歩道から見下ろすような形で、結構な勢いで増水した川が流れており、河原に降りる階段が続いている。そしてその階段を降りていくと、途中には立ち入り禁止の看板がかかっていた。「あ~、やっぱりここまでか」と恨めしそうに河原を眺めていると、管理人らしきおっちゃんが様子を見に来た。「今日は、これに入るために来たんですわ」とか話していると、おっちゃんは「団体さんか?」と聞く。「いえ、個人で来たんですけど」と答え、そして「あれ、ちょっとくらい入れますよね」と露天風呂の方を見て言うと、「ああ、いいよ」とあっさりと認めてくれた。「そこくぐって行ったらいいよ」と言ってくれたので、気が変わらないうちにと「おおきに、電車の時間もあるのですぐ出ます」とか言いながら、あわてて立ち入り禁止の看板をくぐって河原におり、裸になって露天風呂に飛び込んだ。日によってかなりお湯の温度も違うらしいが、そらまあ、自然のもんやから、当たり前の話で、しかし、この日の湯加減は俺にもちょうどで、河原の露天風呂が貸し切り状態で、帰りの電車を何本も見送り、結局1時間近くも浸かっていた。「これやったら、缶ビール持ってきたらよかったね」等と贅沢を言いながら、おっちゃんに丁寧にお礼を言って帰ってきた。おっちゃんは、「電車乗り場には連絡しといたったで」と何をどう連絡してくれたのかわからないが、とにかくありがたい話である。何事も諦めたらあかんっちゅう典型的な話で、世の中、結構何とかなることは意外と多いと思いましたな。
2009.08.10
■酔いどれ電車
神戸から京都方面への移動時、JR新快速の4人掛けに座っていると、どこからか甘い匂いが漂ってきた。自分の事はさておき、人の臭いに結構敏感な俺は、いつものように臭いの元を推測した。あからさまに臭いの元を探そうとはしないで、自分の鼻だけで推測するのである。結構甘い匂いだったので、最初は誰かが菓子パンでも食べているのかと思ったくらいやが、どうもよくわからんようになってきた。それにしても、夕方の6時を回っている通勤時間帯なので、結構混んでいる。俺の座っている4人掛けの横の通路にも人は一杯立っている。駅を過ぎるにつれ、通路の人も増えていき、その匂いの元がだんだん俺に近づいてきたな、と思った瞬間、日本酒の缶が俺の目の横にあった。顔は見えないが、おっさんが、満員電車で日本酒を立ち飲みしていたのである。で、そのおっさんが缶の日本酒を持つ手の高さは、座っている俺の丁度顔の横であるから、俺の鼻からは20cmくらいの距離から匂ってくる。しかも一気に飲むわけではないから、俺の顔の横にずっと日本酒はあり、俺が週刊誌に集中できんくらい、至近距離から結構匂ってきて、何かこっちも酔っ払いそうになってきた。お酒に弱い人は匂いだけでも酔うとか、よく聞くが、これ、鼻からアルコールを吸っても飲酒運転になるねんやろか、などと考えるくらい、おれの鼻は酔っ払い状態になった。これで、飲酒運転で捕まってもだれも信用してくれへんわな。満員電車の飲酒はちょっと遠慮してほしいね。
2009.07.30
■小心者は損をする
普段はほとんど行かない大型の紳士服店に人の買い物のために付いて行った。自分の仕事用のスーツは1万円以内と決めているから、この店内にあるスーツは俺にとってはすべて対象外である。ところが、店の前に特価のコーナーがあり、定価4万何千円だったか5万何千円だったかの日本人デザイナーブランドのスーツが1万円でバーゲン中だった。普段俺が着ているような、7千円とか8千円のスーツは、衣料品店を経営している後輩に言わせると「あんなもんは、スーツではありません」とボロカスであるが、これくらいのモノになるとちゃんとスーツといえるくらい手に持ってもしっかりしている。サイズもぴったりなので買うことに決めた。そしてもうひとつ、和柄アロハ風の半袖シャツが超特価390円のコーナーにあった。これも誰もが知っている海外ブランドであるが、おそらく相当な在庫処分か何かなのであろうか、もともとシャツには590円の赤札特価のタグが付いている。これもサイズがぴったりなので、スーツとともに店内に持って行った。店員から「このスーツはお買い得ですよ」とおべんちゃらを言われ、「へへ」と喜んでいると、レジでシャツを590円と打たれた。超特価コーナーのワゴンなどに入っている元々の特価品をレジで打ち間違われることはよくあることだが、ここで、オバはんのように「あんた、これ、ちゃうで390円やで」と言えんのが小心者の特徴である。特価品ふたつも買うたんやし、まあ、エエか、とあきらめてしまうのである。結局こういうモンの積み重ねが大きいねんやろね。
2009.07.23
■早起きは三品の徳
朝型人間、夜型人間などと巷間よく言われるが、俺は典型的な夜型である。何年か前メールは必ず当日中に返信すると決めていた頃、朝の4時頃までメールを返信する生活を1年ほど続けていて、仕事中にめまいで倒れそうになったことは前にも書いたかもしれない。最近はちょっとマシになったが、それでも朝に弱いことに変わりはない。駅の外などで配っているポケットティッシュが貰えない原因に、俺が電車を降りる頃には配り終わっていて後片付けをしている、ということがよくある。ところが、年に一回あるかないかの事情で先日いつもより40分以上早い時間に駅の改札を出ると、まずは、団扇を配っていた。マンションの広告で、最近よく見るちょっと小さめの団扇であるが、鞄に入りやすい大きさなので、これはエエわ、と団扇でパタパタしながらしばらく歩いていくと、今度は携帯電話の宣伝でクリアファイルを配っていた。俺はクリアファイルを多用する方なので、これはありがたいな、とまた手にとって歩いていくと、もう一軒のマンション業者が今度はティッシュを配っていた。いつもは遅刻ギリギリの電車で降りて、必死の形相で歩いているので、ティッシュを配るオネエさんも目線を避けることがあるが、何せ、今日は余裕であるから、ちゃんとティッシュも貰えた。結局100mも歩かずに3点も貰えてよかったな、っちゅうだけの話しやけど、やっぱり早起きはするもんやね
2009.07.16
■真夜中のチェッカー
この頃は近所に24時間営業のスーパーがあるので、それはそれで便利である。しかし夜中に行ったりすると下手すると昼間よりもレジの待ち時間が長い。それはレジの数によるもので、昼間は10台以上動いているレジを夜は2台しか動かさないため、客の数は昼間より少なくてもレジの待ち時間は結構長いということになる。そしてこのコラムでも再三クイックレーンの設置を主張しているが一向に改善されないため、(確かに、正式にスーパーに文句言ってるわけではないが)俺のように2~3点しか買わない者も大量に買い込む人と同じレジに並ぶ必要がある。しかも、いつも買い物をしている主婦などは、レジの担当者(チェッカー)の処理能力を把握しているため、チェッカーの顔と並んでいる列の長さ、買い物カゴの中味等を判断して最も効率のよい列に並んだりするが、俺のような買い物シロートではその判断は難しい。チェッカーを事前にチェックするなんてシャレにもならんね。で、結局一番遅い列に並んでいたりする。こないだも、土曜日の夜中に買い物に行くと、夕方よりもレジの列が長かった。たまたまレジは3台動いており、列が一番短いと見て、手前の列に並んだが、これが失敗で明らかにチェッカーの手が遅い。さらに何故かこういうチェッカーの列に限って客も動きが遅い。チェッカーに「○○円です」と言われてから財布を開けたりする。小銭入れまで開けて並んでいる俺は「財布くらい開けて待っとかんかい」とツッコミたくなるがひたすら我慢である。クイックレーンが無理なら、これも海外ではよくあるセルフレジでもええな、と思うけど、別のスーパーではせっかく日本では珍しいセルフレジがあるのに、ほとんどルール無視で子供の遊び場みたいになっているのに、親も係員も注意せえへんという状態である。こうなったら、せめて、バッティングセンターみたいに、レジの上にチェッカーの速さの表示でもしてくれと思うが、もちろんこれも無理やろね。何かええ手ないかな。
2009.07.09